高見澤さんの小説『音叉』最終話を、たった今、読了しました。
つらつらと、感想などを…。
まだ読み終えてない人や、
他人の感想なんぞ見たくない人は、ここで逃げてください~。
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そろそろ良いでしょうか?
さて…
個人的に、あまり難解な文体を使って書かれた小説は好きでないので、
高見沢さんが小説を書くと聞いたときに、
そういう文体でなければいいなぁと思ってました。
まぁ、高見沢さんの文章には、会報などで触れる機会は多いので、
多分大丈夫だろうと思ってましたが。
実際に読んでみて、私の好きな感じの、
す~っと入ってきて、自然に情景などが目に浮かぶ文章…
気取ったり、肩に力が入っていない感じで、
お世辞抜きに、私の好きな文体でした。
ただ、第1話は…
ほぼ大半のアル中が、同じことを思ったと思いますが…
アル中にはおなじみのエピソードが多過ぎ。
そのせいで、小説というフィクションの世界に入っていくのを邪魔された…。
高見沢さんがしきりに「これはフィクションですから、私小説ではないですから!」と言っていたけれど、
「いや、そう思わせてんのはお前やないかい」とツッコミたくなるくらい、多過ぎ。
そうすると、どうしても主人公は高見沢さんに思えてくるし、
じゃあこのバンドメンバーは坂崎さんか桜井さん?
これは実際にあったこと…?
と、どうしても思っちゃう。
フィクションとして、純粋に小説として、どうしても楽しめない。
それが、第1話を読んだときの正直な感想でした。
リアリティを出すために、現実のエピソードを挟み込むって手法を取ったのかなーとも思いますがね~。
「アル中にはお馴染みのエピソード」を知らない人が読んだら、もっと作品として楽しめたのかもしれない。
でも、アル中にはそれは無理…。
そういう部分が減ってきた第2・3話から、俄然面白く読めるようになりました!
もしかしたら私が知らないだけで、現実のエピソードはちりばめられているのかもしれないけれど。
最終話を読む頃には、バンドメンバー一人一人のキャラがはっきりとして、
もう桜井さんや坂崎さんとオーバーラップすることはなくなりました。
それにしても音楽を表現する文章が素晴らしい。
当たり前なのかもしれないけれど…。
いや、ミュージシャンすべてが、こんなに音楽を文章で表せるわけではあるまい。
これは素晴らしい。
音楽の、何のどこがどのように素晴らしいのか、ということを、文章で表している。
それも、専門的な音楽用語を使わずに表している。
私にもわかるくらいに、通常の言葉を使って表してる。
ミュージシャンが、音楽をそのように文章で表している。