約10年ほど前、自宅が全焼するという経験をしました。
生まれ育った家が目の前で失われた時、
泣き喚きたいとも思ったのですが、
どんなに全力で泣き喚いたとしても、
今のこの感情を表現できないと悟って、
泣き喚くことをあきらめて、静かにたたずんでいました。
悲しすぎると、泣き喚く力さえ出ないと、知りました。
それから、いろんな人から心配していただいて、
「大丈夫?」と声をかけてもらった時、
「大丈夫です!」と良い笑顔でお答えしている自分がいました。
「大丈夫なはずはないのに、何でこんなに笑顔で『大丈夫』って答えてしまうんだろう?」
と、自分でも全くもって不思議でした。
頑張って気上にふるまっているというわけでもなく、
膝をポンと叩くと足があがるのと同じ反射運動のように、
「大丈夫?」と聞かれると、「大丈夫です!」と、頭で考えるよりも早く、反射的にこたえている自分。
「自分、日本人だなぁ」と実感しました。
自分の中のDNAに組み込まれた『日本人スイッチ』が働いて、
自動的にそう答えているとしか、言いようがありませんでした。
この度の災害の被災者の方々は、さらに、
集団行動の中で、「周りの皆も同じだし」「もっと酷い状況の人もいるし」と、
個別に嘆き悲しみ、嗚咽するのも、はばかられる状況なのではないかと…。
TVなどにインタビューを受ければなおさら、
「大丈夫です!頑張ります!!」と笑顔で答える…
あれは、『日本人スイッチ』が働いて、そう答えさせているのではないかと思うのです…。
『日本人スイッチ』には良いところもあって、
世界から称賛されている、混乱の中でも冷静に、秩序だった行動が出来るのも、
この『日本人スイッチ』のお蔭だと思うし、
たとえ表面上のカラ元気でも、明るく笑顔を作って、前向きに行動するのは、
きっとその表面に、後から実態が伴ってくると思うから、
意味があることだと思うのですが、
ストレスは内側にたまる…。
もちろん、前向きに明るく頑張ることは必要で、大切なのですが…
それはとっても良いことなのですが…
個人個人、個別の悲しみに、
思う存分、誰の目もはばからずに、嗚咽をあげて嘆き悲しむ…
そんな場所や時間が、集団で避難している中に、あるのだろうか…
あると良いのだけれど…
それも、とても必要なことだと思うのです。