WILD FLOWER=AL-CALL

Yahoo!ブログから引っ越してきました。好きな音楽:THE ALFEE、CANTA 細々と毒にも薬にもならない同人誌作ってます。

4月17日(金) 『THE ALFEE最後の夏の野外イベント』の報を受けて

高田馬場AREAからの帰り道で『THE ALFEE最後の夏の野外イベント』という報を受けて、
電車の中で、このまま消えてしまいたいくらいに落ちてしまいました。
高見沢さんのお誕生日に他のバンドに行った罪だろうか?とさえ思ってしまいました。
自分でも馬鹿じゃなかろうかと思うくらいに、凹みました。

その理由も、状況も、理解できないわけじゃない。
むしろ、理解できる。賛同すらできる。

それでも、嫌だ嫌だと駄々をこねて大きな声で泣いている自分が、自分の中にいました。
そんな子どもな自分が、自分の中にいることに、また嫌になり…。

ずぶずぶと落ち込んでいきました。

アルフィーの夏イベ…
私にとっては、それが夏そのもの。

季節としては夏が来ても、それを満喫するようなことって、そうはない。
大人になって、夏休みが無くなれば尚更。
エアコンの効いた部屋の中で過ごす日々。

それが、アルフィーの夏の野外イベントは、否が応でも、全身で夏を感じさせてくれる。

そのアルフィーの夏イベが無くなる。
私にとって、“夏”そのものが無くなるような…。


そして、アルフィーの夏イベは、
自分の馬鹿で子どもな部分を、思いっきり外に出せる場でした。

真夏に、炎天下であろうと、雨が降ろうと、台風が来ようと、外で数時間を過ごす。
ただアルフィーの曲を聴くためだけのために。
馬鹿な子供でもなきゃ、そんなことやってられない。

本当に馬鹿だなぁと思いつつ、そんな、馬鹿になれる時間が、とても幸せだった。
普段、大人の振りをして、押さえつけている、自分の中の子供を、解放してあげられる場だった。

そのアルフィーの夏イベが、無くなる。

「いつまでも、そんな子どもの部分を持っていたら恥ずかしいですよ。
 さぁ、そんな子どもは殺してしまいなさい。」
と、宣告された気分だった。

「幸福な子供の時代」など、もう終わりにしなくてはならない。
いや、本当はもうとっくに終わらせるべきだったんだよと、断言されたようだった。


…たかだか、1アーティストの活動が変更になるくらいで、何を大袈裟な。
そもそも他の活動は続けているわけだし、その内の一つのイベントが無くなるだけじゃないか。

そうも思って。

ただ、やっぱり、“夏”の“野外”というのは、特別な意味を持つ…。
それは、きっと、“夏”で“野外”だからだろう…。
この魅力は、何物にも代え難い。

私が初めて夏のイベントに参加したのは、20年前。
20年前から3年前まで、全ての夏にアルフィーの夏イベがあった。
全ての夏が、アルフィーの夏イベだった。
それが無くなる。


アルフィーに依存しすぎなんだ。少し距離を置いた方が良い。

そうも思う。

でも、本当に本当の子供だった時から、今まで、一番の心の支えは、やはりアルフィーだった。
太陽のような存在なので、少し活動を変えられただけで、すぐに大きく影響を受けてしまう。

ニュースで各地の祭りの様子が流れてる。
特に故郷意識もなければ、故郷の祭りも持たない。
そんな私にとって、アルフィーが故郷で、夏イベはそのお祭りだった。
それが無くなる。


こんな些細なことが悲しいのは、今までが幸せ過ぎたから。
贅沢な悲しみ。

こんなに好きでなければ、こんなに辛くないのなら、好きでないようになりたい。

…そんなことを思うのも、やっぱり馬鹿っぽい。

にっちもさっちも行かなくて、ただただ下へ下へと気持ちが落ち込んだ、高田馬場からの帰り道。


「全てのことに、終わりは必ず来るんだよ」
ライヴ中のルークさんの言葉が、胸に痛かった。