WILD FLOWER=AL-CALL

Yahoo!ブログから引っ越してきました。好きな音楽:THE ALFEE、CANTA 細々と毒にも薬にもならない同人誌作ってます。

サッカーと私と平成と ※完全なる独り言です。

※独り言です※

あれは平成になってまだ間もないころだった。
日本にJリーグという日本初のプロサッカーが立ち上がった。
「地域密着」などの「理念」を前面に掲げたJリーグは目新しく、新鮮だった。
バブル末期で、殺伐とした停滞の機運が漂っていた日本で、久しぶりにワクワクするブームだった。

同時に、日本が初めてW杯に出れるかどうか?!という瀬戸際の試合が続いた。
そう、「W杯に出場する」ということ自体が、ほとんど見果てぬ夢だった時代。

ブラジル帰りの「キング・カズ」がいた。
サッカーでブラジル留学するなんて?!そんな人本当にいるんだ?!と普通の人は皆驚いた時代。

それより少し前、私は『C.翼』の影響でサッカーが好きだった。
それよりも純粋にサッカーが好きな友達がいて、「一緒に女子サッカー部を作ろう」と誘われて、
協力する形で、休みの日は借りた小学校のグラウンドでサッカーの練習をしていた高校時代。

その友達に誘われて行った高校サッカー
国立競技場の芝生は枯れて茶色だった。
冬のサッカー場はそれが普通だった。

Jリーグができてから、冬でも緑の芝生になったのを目の当たりにしたときは衝撃だった。

その国立競技場も、今はない。


出来たばかりの「なでしこ」を見たのもその頃だった。
澤穂希っていう、凄い女子選手がいるんだよ」って聞いたのもその頃。

澤が引退したのは…約3年前?

その澤の友人の吉田佐保里選手も今日引退だって?

何の冗談だ。


話をサッカーに戻すと、アトランタオリンピックもその頃。
日本が初めてブラジルに勝った時。

綺麗に素直にサッカーブームに乗っかった私にとっては、怒涛の日々だった。


あの頃の前園は凄かった。
本当に凄かった。

アトランタ五輪の予選の時の前園は、ピッチに立つだけで違ってた。
豹のようなしなやかさで切れ込んでいくドリブルで、試合の流れを完全に変えてた。
肉食獣のような眼をしていた。

アトランタ五輪の直前にTV番組に出て、
「そんなに期待されるのもプレッシャーになって嫌でしょう?」と聞かれたとき、
「いえ、期待してください。」
と自信たっぷりに答えた姿も、スポーツ選手として新しかった。

後に、山口素弘選手が…あれはフランス、W杯の後だったか…
「〇〇はたいしたことなかった。全盛期の前園の方がよっぽど凄かった」と言っていたのが印象的で…。


そんな山口素弘選手や、前園や、そして…楢崎…がいるフリューゲルスを好きにならないわけがなかった。

そのフリューゲルスの、チームソングを、アルフィーが担当する…

嬉しいなんて言葉では言い尽くされない…

盆と正月とGWとクリスマスがいっぺんに来てるようなあの頃。

脳内の半分はサッカーで埋め尽くされていたといっても過言ではなかった。


いきなり冷水を浴びせられたのは…1998年でしたか。
フリューゲルス消滅事件。
高見沢さんがステージでフリエの旗を振っていたのは眼に焼き付いてる。
1999年1月1日の天皇杯は、千駄ヶ谷の駅前で「チケット譲ってください」のスケッチブック持って立って、ものすごい幸運で譲ってもらった。
本当に、ついこないだのことのように覚えてる。


初のアジアのW杯開催は日本か?韓国か?で争っていた時、
日本誘致のボランティアに応募して、
いざ、決定のその日は、国立競技場で迎えるはずだった。

「日韓合同開催になったので、その催し自体がなくなった」という通知が来たのは、いつ、どのような形で知らされたのか?
全く記憶にない。
ただただ茫然としたのを覚えてる。

その催しで使われるはずだったグッズだけは、あとから送られてきたのも覚えてる。

それも家が火事で燃えてなくなっちゃったけど。

家が火事になったのは、2002年の初頭だった。
そう、日韓W杯の年。
燃える家を見ながら「あぁ、まだW杯のチケットが送られてくる前で良かった。もしもう送られてきてたら、あの炎の中に飛び込んでいくところだった」とぼんやり思ってたのを覚えてる。


日韓W杯は、日本対ロシア戦を横浜総合競技場に見に行った。
あの頃は日産スタジアムではなかったw

そのゴールマウスを守っていたのは楢崎だった。


川口と楢崎が出てきたことで、「これで日本代表のGKは10年は大丈夫」と言ったのは、確か加茂監督だったと思う。


テレビ番組で、二人が一番フロントに並んで座らされてたのに、お互いに目も合わせようとしなかったのを覚えてる。
本気で本当のライバル同士だった。

テレビ的には、「グラウンドの上ではそうでも、一歩降りれば、プライベートでは結構仲が良いんでしょう?!」的なテイでインタビューしようとしてたけれど、
二人とも全く迎合しようとしなかった。


あれは…確か南アフリカW杯の時?
確か…試合のハーフタイムの時だったか…
川口と楢崎が、川島を連れて、サポーターに挨拶に行ったのは…。

そのような…美しい光景があったのが、間違いなく南アフリカの時だったとして、
約9年前…。


私が初めて海外へW杯を見に行ったのは、そのさらにひとつ前のドイツ杯。

先日年賀状を整理してたら、ちょうど12年前のイノシシ年の時、
「ドイツW杯に行ってきました!」という年賀状を作ってた、私。

あれから干支一回りか…。

そのドイツW杯の直後に、中田ヒデが引退したんだよね…。


ドイツ杯で中田が引退して、
南アフリカでは川口も楢崎も出なくなって、
選手も全員年下になって、
仕事も忙しくなって、サッカーをやってる時間に家にいることの方が少なくなって、
今じゃすっかり「昔はサッカーが好きだったなぁ」という私…。

年が暮れようが明けようが、
平成が終わろうが、
今日明日の仕事に追われるので必死で、
特に何の感慨もなく過ごす日々だけど、

なんか今日は…
時代というものの流れを感じた。


せめて、明日のアジア杯くらい、久しぶりにちゃんと見てみようかと思ったけど、
がっつり仕事してる時間だった(苦笑)
やだな、こんなオチ…。

試合が終わる前までには帰れたら…いいな。